この対談は、2015年9月19日に第37回ぴあフィルムフェスティバル「招待部門作品、映画内映画」にて『ジョギング渡り鳥』がプレミア上映された後、鈴木卓爾監督、諏訪敦彦監督によって行われたアフタートークを採録したものです。 

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第1回

 

諏訪:今日は聞き役という感じでいこうと思います。まずは僕と鈴木さんの関係を言うとですね。

 

卓爾:いつから始まりましたかね。

 

諏訪:元々東京造形大学っていう同じ大学の出身ですね。最近でいうと、日本ではあまり上映してないんですけど、僕がフランスのシネマテークのために作った10分の『黒髪』(2010)という短編映画があって、それに鈴木さんに出演していただきました。

 

卓爾:はい。 

 

諏訪:その後、シネマインパクトで鈴木さんの『ポッポー町の人々』(2013)に僕が出演しましたね。

 

卓爾:シネマインパクトは山本政志さんの映画塾ですよね。あれで、山本さんにちょっと学校の先生役で出てくださいって頼んだら、俺じゃないだろうってことで諏訪さんを呼んでくださったんですよね。

 

諏訪:山本さんに言われたら、僕は断れないんで(笑)。それでちょっと出演させてもらったみたいな関係もあり。僕は『はなされるGANG』(1984)という作品をぴあフィルムフェスティバル(以下、PFF)でやりましたが、同じくPFFで上映された鈴木さんの『にじ』(1988)という作品が大好きで。

 

卓爾:ありがとうございます。

 

諏訪:『ジョギング渡り鳥』と『にじ』を2本立てで観たらすごく面白いですよね。『にじ』はほんと一人じゃないですか。

 

卓爾:えぇ、一人です。

 

諏訪:一人で、自撮りですよね。そんなこと誰もやっていなかった時代に自撮りで映画を撮っちゃった。

 

卓爾:そうですね、ほんとに(笑)。あの頃の8ミリカメラは、まぁ「小型映画」という雑誌の名前もあるくらい小型ではあるけど、そうは言っても今と比べるとすごく……。

 

二人:大きい。

 

卓爾:ですので、棒にカメラを付けて自分を撮るっていうのはどうかしてました。

 

諏訪:(笑)

 

卓爾:客観的に自分の姿を撮るというか。

 

諏訪:『にじ』では、人にカメラを渡して撮ることもしていますよね?

 

卓爾:はい。ロングショットを撮るには三脚を立てて自分でロックして走るか、人に渡すかしないと撮れなかったので。

 

諏訪:今日、『ジョギング渡り鳥』を拝見していて『にじ』の事を思い出してね。

 

卓爾:はい。

 

諏訪:あれは本当に一人で映画を作る行為でしたが、今回たくさんの人々で『にじ』を作ったという感じがね(笑)。そういう風にも見えなくはなかったんですね。

 

卓爾:そうですね。

 

諏訪:今回は「映画内映画」という企画での紹介でしたけども、大勢の人が出る映画という系譜でもありますよね。

 

卓爾:そうですね。たくさん人が出てきますね。覚えきれないぐらいというか(笑)。

 

諏訪:僕が高校生の時にロバート・アルトマンの『ナッシュビル』(1975)という、これは主人公が24人いるという映画ですね。その何年か後に『ウェディング』(1978)という映画を撮って、これは48人主人公がいるっていう映画で(笑)。僕はそれ高校の時に観たんですが、『ナッシュビル』のパンフレットに出演者のギャラが全部同じだったって書いてあったのがすごく感動しまして。

 

卓爾:48人!

 

諏訪:まだ無名な人も出てるけど『シャイニング』(1980)のシェリー・デュヴァルとか、有名な人も出ているハリウッド映画じゃないですか。それなのにみんなね、ギャラが同じ値段だったって書いてあったの。「大スター・システム」でスティーブ・マックイーンがギャラが何億円とかそういう時代に、みんなギャラが一緒。しかもあれは「ナッシュビル」っていう町に色んなミュージシャンが集まってくる映画で、その歌も、自分で作ったりしてるんですよね、俳優が。

 

卓爾:うん、うん。

 

諏訪:その話にすごく感動して、こういう映画すごくいいなっていうのが高校の時にすごく印象に残ってるんですね。

 

卓爾:『ナッシュビル』、実は僕はまだ観れてないんですけれど、主役っていうのはいないんですか?

 

諏訪:中心っていうのはいないですね。誰か一人中心っていうのはいなくて、みんな重要、大体。

 

卓爾:なるほど。

 

諏訪:ちょっと似てますね、そういう意味では。

 

卓爾:似てますね。

 

諏訪:徹底的にみんな、ある種の平等な状態というか。そもそもこの映画がどういう風に作られたのかをちょっと伺いたいんですけど。

 

卓爾:はい。この映画は映画美学校のアクターズ・コース第1期生が出演しています。アクターズ・コースは映画や舞台で俳優をやることに興味を持ってくださる方向けに開かれている初等科・高等科と二年制のコースで、高等科の時に撮りました。この映画には初等科だけで修了した人も2、3人来てもらっていますが、僕は1年目から接していて、高等科に進んだ10人が1年かけて学んできたことが面白かったんですよ。講師に、平田オリザさんや、平田さん主宰の青年団の俳優さんたちもいらっしゃって、ずーっと、俳優の意識の持ち方みたいなことを習うんです。僕も習いたいくらいで、見学していると1つ1つがヒントになることばかりでした。みなさん俳優が芝居の練習をどういう風にやってるかをどう想像されるか分かりませんけど、発声練習や、てけてけ走るようなこととは別の、レーダーセンサーを体中に付けましょうみたいな事もやるわけです。実はこの映画の中で宇宙船内っていう設定がありまして。

 

諏訪:最初のシーンの、鳥に攻撃されるところですか?

 

卓爾:はい。あれは映画美学校の地下ミニスタジオという、アクターズ・コースのみんながいつも身体を動かして授業を受けている場所です。

 

 

諏訪:稽古場ですね。

 

卓爾:はい。みんながお互いの動きに次々反応して自分の動き方を変えていく、まるで自動機械のような動きをやっている時間があります。これはビューポイントと呼ばれていて、それを見ていたらまるで宇宙人みたいで。人間になる訓練って大変だなぁ、ってふと思ったんですね。同時に、高等科の10人のコンビネーションがすごく良くなっていることにも気付いて今彼らと映画を始めたら、初日から間の取り方みたいな事は大丈夫なんだろうなと思いました。

それと、先程諏訪さんが仰ってくださった『にじ』は二十歳の頃の8ミリ映画で、自分で自分を撮るだけで大体進んでいくのですが、普通の映画はカメラの存在をあまり感じさせないものが多いですよね。でも、別にそれがルールだとは誰も言ってないなぁともずっと思っていました。それで、もしそのコンビネーションの良い10人の間にぽーんとカメラを置いたら、つまり彼らが自分たちお互いを撮るとしたら。そういう時間の中から生まれる、見えてくる空気感ってどんなだろうなって考えた時に、じゃあ宇宙人という設定にして、人間からは見えなくて聞こえないことにしようと。カメラが間近にいても知らないふりをするし、それはまるで映画の撮影みたいだなと思いました。それと、もう1台、今現場で若手のカメラマン助手として働いていたり自主映画の撮影をやってたりしている映画美学校フィクション・コース出身の中瀬くんていう人に客観的な全部を撮ってもらおうと。その二つを置いて、後は思い付いた事をどんどんやっていくとやがては完成する、という事は出来ないだろうか。それが、この映画を撮ろうと決めたスタートでした。

 

諏訪:なるほど。

 

卓爾:それで、その10人のコンビネーションの良さっていうのはきっと、僕が見てきた時間のそれだと思ったんですね。だからそれは、誰かが主役で君はちょっとこのシーンに出てもらうとか事前に選んでしまったら、それは絶対に死んでしまうなと思ったんですね。

 

諏訪:そこは大きかったですね。

 

卓爾:えぇ。ですので、その当初の目的通りに作ってきた、という感じです。

 

諏訪:通常だと、ワークショップの中で映画を作ろうとする時には主役がいることが多くて、決して平等にはいかない。誰かが選ばれて、誰かは脇に回るとか。

 

卓爾:そうですね。

 

諏訪:そういう事が起きるのが通常かもしれないですよね。でもそれを起こさなかったという事が、とてもこの作品にとって意味が大きいですよね。

 

卓爾:そうですね。撮る理由はその前にあるわけじゃなくて、彼らがいたから。彼らと映画を撮るのが目的、ということが自主制作だと出来るので。

 

諏訪:内容自体はどういう風に出来ていったんですか? 物語というか、各々俳優さんが演じていく人物っていうのはどういう風に作っていったんですか?

 

卓爾:元々90年代に、『ジョギング渡り鳥』は短編のプロットで書いてあったんです。

 

諏訪:なるほど。

 

卓 爾:その時は20分くらいのストーリーでした。毎朝ジョギングをしているOLと、そのジョギングのコミュニティでお茶を配っている人がいて、その人を中心に見知らぬ人たちが集まっている。OLはその場所が好きで、その一方で彼女は身体の関係を心とは切り離して考えている子で、それに関してはインターネット、出会い系とかで満たしている。ところがある日、このコミュニティの中にいた子持ちのサラリーマンの人が出会い系の相手として来てしまって、この場自体が壊れていくみたいな話だったんですね。

 

諏訪:じゃあ輪郭というか、全体のフレームみたいなものは原案があったわけですね。

 

卓 爾:そうですね。この町で毎朝走っているという1つの軸、木の幹みたいな存在が一人いた方がいいかなって。これは主役とはちょっと意味が違いますが、最初のプロットはそんな想定でしたね。それをみんなに見せて、ロケ地となる埼玉県の深谷に行きました。深谷には深谷フィルムコミッションとして活動している強瀬さんという方がいて、『ゲゲゲの女房』(2010)からお付き合いさせていただいています。

3.11 の後に仙台短編映画祭の企画で、「仙台のメディアテークが被災してしまったけれど開催したい。今まで仙台短編映画祭に関わってくださった映像作家のみなさんに3分11秒で映像を作ってほしい。それをオムニバスのように繋げて見せたい。お金は全くないけれど」という申し出をいただいて僕なりに3分11秒の映像を撮りたくなった時にも、深谷で撮らせていただいた。『ゲゲゲの女房』DVDの副音声を録音する作業をしていた日が、ちょうど2011年の3月11日 だったんです。

 

諏訪:そうなんですか。

 

卓爾:その前の日に、『ゲゲゲの女房』撮影からは大分経っていたんですが、一回深谷に飲みに行ったんですよ、強瀬さんと。その境目の日を一緒に共有していた のもあって、3分11秒の映像には強瀬さんにも出てもらい、僕も出て撮りました。それが『駄洒落が目に沁みる』というタイトルの映画です。

 

諏訪:タイトルがいつも面白いですよね(笑)。

 

卓爾:あ、すいません(笑)。大体いつもタイトルが先に決まる事が多くて。『駄洒落が目に沁みる』を作っていたのは『ポッポー町の人々』で諏訪さんに出ていただく約半年前です。なので『駄洒落』と『ポッポー町』に続いて『ジョギング渡り鳥』を撮ろうとした時に、自分としては、いわゆるドラマで言えばオリジナル初長編になるかもしれないとか思って、また強瀬さんのところに行ったんですよ。そこで、面倒かけて申し訳ないし作品になるかどうかはまだ分からないけれ ど、アクターズ・コースというところに若い俳優がたくさんいて、こうでなきゃいけないみたいな事を教えるためではなくて、ただ一緒に映画を作る時間を持ちたいということと、面倒くさい事をやりたい、と強瀬さんに相談しました。みんなで一緒に撮影してみんなで一緒に移動してみんなで合宿所に着いたら一斉に食事を作り始める、という無駄な事をしたいっていう風に申し出て。効率とは真逆の方法論で撮りたいんだ、という気持ちがすごくありました。そこに、昔書いていたプロットが繋がっていきました。それ以外のシーンの人物設定に関しては、台詞と人物はみんな一人一人、学校の中でエチュードをやって、作っていきました。

 

 (2015年9月19日、第37回PFF プレミア上映時対談より)

 


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