市沢真吾 × 千浦僚 対談
    「第三の映画」談義
 

1 2 3 4 5 6 7 8

 

「第三の映画」

 

市沢 こういう映画が、今このタイミングで「アクターズ・コース」から生まれたことの羨ましさもあって。自分は受講生を経て映画美学校でずっと働いているので。
千浦 
そうだね。
市沢 
90年代末、映画美学校はドキュメンタリー・コースを開講したんですけど、ドキュメンタリー・コースが始まった頃は、フィクション志望だけど形式としてドキュメンタリーを選ぶ人たちがいっぱいいた。2000〜2001年くらいはそういう機運があったこととかを思い出していて、自分の考えてるフィクションとドキュメンタリーの境界、どういう違いなのかを、昨日ね、ちょっと書いてみたんです。
千浦 
ああ、どうぞ。
市沢 
現実を撮るのがドキュメンタリーで、虚構がフィクションっていうことだけじゃない。フィクションの中にもドキュメンタリー要素があるし、ドキュメンタリー自体がそもそもフィクションだっていう考え方はまず前提にあります。その上でですが、自分の中の定義では、フィクションは先に設計図があって、それを俳優の肉体を通して、演出と撮影でフィクションにする。ここでは編集とかのいろいろな要素は全部取っ払って言いますけどね。一方ドキュメンタリーは、実在の、実際に居る人を撮影して、編集することで再構築する。ドキュメンタリーは、撮影するときは設計図はなくて「編集する事がフィクションで言うシナリオ(再構築)なんだ」っていう実感があるんです。
構築する順番の違いがあると。シナリオ(構築物)×俳優=フィクション。実在の人間×編集(再構築)=ドキュメンタリー。「×(かける)」が演出と撮影。で、映画美学校の「フィクション・コース」「ドキュメンタリー・コース」って、ある時期まではこのことをどんどんオーソドックスに突き詰めていったという実感があるんですよ。もちろん、その突き詰めに異論はないのです。でも『ジョギング渡り鳥』を観て思ったのは、もう一個全く別の考え方があるのでは、ということです。つまり「シナリオ」という設計図を取っ払ったフィクション、つまり「俳優×編集(再構築)=『ジョギング渡り鳥』」ではないかと。これも「×(かける)」は演出と撮影ですが。そんな映画を観た気がしたんです。
千浦 
うん。
市沢 
この実在の人物じゃなくて俳優が演じる人物を撮って、編集で新たに構築しなおす。つまり編集の時点でシナリオができていく映画というものを、90年代後半から00年代の初めくらいまでは観ていた気がするんです。諏訪さんの『2/デュオ』、『M/OTHER』、ペドロ・コスタ監督の『ヴァンダの部屋』が出てきたのもその頃です。この流れを私の中で「第三の映画」って勝手に名付けていて。こういうタイプの映画があったらいいけど、なかなか学校から出にくいよなあって思っていたんですよ。
千浦 
うん。
市沢 
そしたら、それから10年以上も経って、アクターズ・コースから、「これ俺の思ってた映画じゃん」っていうのがぽこって出てきて。びっくりもしたし、ちょっと羨ましいなって思いましたよね。でね、もっと言うと、この「第三の映画」なんていう話を自分がしたところで、果たしてどれだけの人がその意識を共有してくれるの?と思ってしまうくらい、映画の受け取り方自体が狭まってる気もするんですよ。そんなことも考えさせてくれた映画でした。
千浦 今の話はすごくわかるところがあります。僕は2002年、フィクション・コース5期の時から映画美学校の試写室の映写技師として8年くらいいましたが、学校のカリキュラムじゃない非公式な時にも変なものや面白いものが生まれてくるような気がしてて。映画美学校は映画祭をやりますよね。長短問わず持ち込まれたものは全部上映する3,4日間のイベントで、昔は50本くらいやってました。チェックで監督と一緒に全部見るので、たぶん僕が一番観てたんですけど。
市沢 
その中には映画美学校映画祭でお披露目された富田克也さんの『国道20号線』とかも入ってたりするわけですよね。
千浦 
そうそう、ありました。もう、『雲の上』も見てるから。富田さんたちみたいにさらに発展させて知られてった人たちもいるけど、そうじゃない人たちもいて。それでもある意味、全部面白いところはあったわけですよ。
市沢 
うん。
千浦 
未だに僕の中でずっと映画観たり、映画好きな感じが続いてるのは、すごい単純でね。リュミエールの映画が初めて上映された1895年くらいの人間と同じような感性がずっとあって、画面があって動いてりゃ面白いくらい、という感覚が摩滅せずにあるんです。うまくいったりいかなかったり、意図が分かったり分からなかったりするものとか全部面白かった。実際に働き始める前の……。
市沢 
映画技術美学講座。
千浦 
そうそう、アテネ・フランセで始まった頃。市沢さんは、あの時の生徒だったんだけど。
市沢 
はい。
千浦 
当時僕は関西に住んでいてミニシアターで映写のバイトもしていてそこでその最初の時の卒業制作の上映とかもしたんですよ。古澤(健)さんの『怯える』なんかは卓爾さんが俳優で出てますけど、卒業制作を一本の作品にして劇場公開までするのが映画美学校の売りでもありましたね。授業の感じも雑誌で読んだり、伝え聞いたりしてたんですけどね。友人の吉川くんが4期で行ってて、手紙とか電話で聴いてたのもあるし。
中川 
手紙?
千浦 
そうそう。映画美学校の授業の配布プリントを送ってもらったりしてたんだよね。こんなんあるでっていうのをこちらからは関西の状況とか、文通してた。
吉川 
未だに置いてますけどね。
千浦 
あ、ほんと?それで実際に上京してみて思ったのは、映画ってものに憧れて思い入れのある人たちの無定形のウワ~っていう勢いのすごさと恐ろしさ。映画美学校の体制自体は、あえてものすごいストイックに型にはめて教育してたわけですよ。かつその学校の側の人たちが映画に対する畏敬の念をちゃんと持ってる。技術は教えることができますよってことで、さっきの設計図としてのシナリオの構築の仕方とか、演出の中の技術的側面を押し出してた。でも、そこで封印されたかに見えるみんなの中にあるウワ~っていうおどろおどろしいものが、自主映画の映画祭をやると噴出するのね。
市沢 
そうそう。
千浦 
楷書でまず書けるようになってから後で字をくずしたり草書を書いたりとか自由にやんなさいっていう映画教育の感じは横で観てて面白かったし勉強になって、映画を観るうえで参考になることだったんですけど、原初の状態に戻ったような映画祭も面白かったですね。話を戻して『ジョギング渡り鳥』には、そのちゃんとした教育的な側面や基本を押さえてる部分と同時に、失われていないウワ~って感じがあったんですよ。あと自分が好きでいろいろ映画見てる中の発想からいうと、似たようなものとか自分の中で例とか挙げられるなって思って。
市沢 
そうですね。
千浦 
俳優の演技からシナリオや場面を作る映画の系譜はあって、その流れにこの映画はある感じ。カサヴェテスや、ちょっと違うけどジャック・リヴェットも俳優と一緒にコラボレーションしてやっていて、そういうのに似たものが『ジョギング渡り鳥』にはあったなと思って。観た時の、あの不思議な抜けの良さ。人がいないところで人工的なシナリオや発想で撮られてるんじゃなくて、そこに映る人と一緒に場面が立ち上げられてるが故の風通しの良さがあるなと思いましたね。

 

 

次ページ→

1 2 3 4 5 6 7 8